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正月休みなので

院長です。

今日は「早川治療院」は正月休みでした。

例年4日から仕事初めなのですが、今年は暦の関係で正式スタートは6日月曜日からです。ただし、院長は明日の午前中に訪問治療に伺うことになっています。そして4日、5日は保険請求の入力・出力作業を行う予定にしていますので、殆ど治療院にいます。

もし、急に治療が必要なことがおきましたら、遠慮なく治療院の方にご連絡くださいね。

早川治療院公式サイト

 

お正月休みの間は、院長が何故治療家を目指したかをもう少し詳しく話しますね。

きっかけは大学4年の10月末頃に読んだ一冊の週刊誌の中の記事でした。その記事には日本人鍼灸師がアメリカンフットボールの選手を鍼で治療したストーリーがのっていました。高校時代、ケガで野球を諦めた院長にとって将来スポーツに関わる仕事がしたいと思っていたんですね。その思いがこの時の記事を読んで「これだ!」と結びついたんです。

そこからは早かったですね。内定を頂いていた会社にお断りを入れ、鍼灸マッサージの専門学校を探しました。残念ながらその時点で次年度の入試は終了していて一年待たなければならなかったのです。そこで諦めず、一年後、無事に24歳で中和鍼灸専門学校に入学しました。その時には「35歳までにNFL、アメリカンフットボールのトレーナーになる」という夢を持っていました。

「鍼灸マッサージ」と言うのは①鍼師②灸師③あん摩マッサージ指圧師の三つの医療系国家資格の総称です。当時は国家試験は各都道府県ごとに実施されていて、最初の2年間が終わると「あん摩マッサージ指圧師」の国家試験を受験、3年目が終了した時点で「鍼師、灸師」の国家試験を受験すると言う制度でした。院長はもちろん?無事にどちらも一発で合格し、1991年4月、晴れて「鍼灸マッサージ師」として第一歩を踏み出したのです。

 

中和鍼灸専門学校に入学した時点で「将来はアメリカでトレーナーになる」夢を持っていたので、日本での就職はせず、カナダのトロントで「指圧クリニック」を開業していた中和の大先輩のところで一年修行?(主に語学のですが)に行ったのでした。そこで最後の3ヶ月はアメリカ人とルームシェアをして語学力が飛躍的に伸び、本格的にアメリカ挑戦の準備が出来た(と思っていた)のでした。

1992年8月末、1度カナダから帰国し、今度はアメリカ留学準備に入りました。トロントにいる間にTOEFL TEST を受けていたので、その点数で入学できる大学をアメリカの大学情報誌(勿論当時はリンクのようなサイトはなかったので百科事典のような紙の雑誌)から約300校程選んで、手紙を送りました。その中で2校が入学に必要な 『I-20』を送ってくれ、最初に届いた大学からはそこのトレーナーから自筆のお手紙が入っており、それを読んですぐにその学校に決めました。Gerogia Collegeにアスレチックトレーナーの資格を取るために留学したのでした。最初の一年はまさに何言ってる分からない、文句言いたくてもなんて言えばいいかわからない状態でした。それでも2年目の途中からはなんとか会話も出来るようになり、3年で卒業する時には日常会話には困らない程度にはなっていました。卒業後「公認アスレチック・トレーナー」の国家試験には2回目で合格しました。アメリカ留学した翌年の1995年に「野茂英雄」選手がメジャーに挑戦し、その後大活躍したのも現地アメリカで目の当たりして、「アメリカンフットボールのトレーナーになる」と言う夢がいつしか「野茂英雄のトレーナーとしてメジャーリーグのトレーナーになる」と言う夢に変わっていました。

この続きはまた明日〜