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OSGフェニックス編

院長です。

日本に戻ってから、約半年くらいの就活をへて、愛知県豊川市に当時本拠地のあった社会人バスケットボールチームのヘッドトレーナーの仕事を頂きました。当時はまだ現在のBリーグは存在しませんでした。私がついたチームは「OSGフェニックス」と言う、2部リーグに所属する男子バスケットボールチームでした。監督は名将「中村和雄」監督のもとで、社会人チームらしく、業務をこなした後の練習でしたので、開始は17時過ぎからで、それはアメリカのスポーツの現場に慣れた院長にはびっくりする程激しく厳しい物でした。

当時の記憶は曖昧で、シーズンがいつからいつまでで、年間何試合あったかも覚えてないくらい。自分にとっても日本でする初めてのトレーナーとしての仕事でもあり、野球以外の競技でもあり、きっと一杯いっぱいだったんだと思います。

OSGでの2年間は、自分にとって今後の方向性を気づかせてくれた、貴重な体験でした。中村監督の元、激しい練習に耐える選手達の治療をとして、トレーナーとしてよりも治療家として成長する機会を持てたことを今でも感謝しています。

一年目、2部リーグ優勝して、そのおかげでアメリカ、ラスベガスでのクラブチーム選手権に出場できたり、今まで行ったことのない日本の各地に遠征に行けたりと、経験も人脈も多いに広がりました。

同時に日本のスポーツの現場での問題点も感じられてよかった。当時はまだその解決案などもなく、ただただ問題意識だけある感じでした。そしてその問題点を解決するためには次のステップに進む必要が分かったのです。

次に選んだ仕事は河合塾グループが作った専門学校「トライデントスポーツ健康科学専門学校」の専任講師の仕事でした。ここでの話は次回。

今日はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。